私生活やらお絵描きやら。気がついたらたまに更新しています。
年初めはチケ当選した新年ライブを配信で観て泣いたりしたんですが、なんだかんだふたりとも出番があってありがたいよな、と思います
おさえもこたつにみかん来たし、しゅこもこのあと控えてると思うと楽しみですわ・・・・
で、
思いもよらずしゃにとうまに両足を掴まれました
やば~~~~~~~~┌(┌^o^)┐
グルーヴパイセンの新衣装来たら死ぬだろうし、しずのふたりのイベントはやくしてくれないと私のねじまがった妄想でやばいことになってしまう(そんなに??)
しゃにもみりも今後のライブ無事に開催してほしいな・・・
以下続きはたいへん個人的なことですので読まなくても生きていけます(?)
昨年祖母が亡くなりました。
実は連絡が来る一週間くらい前夢で祖母とお喋りをしていて、手を振ってわかれたあとに母親が来てなにしてんの?おばあちゃんの葬式行くよ!と言われてえっ今喋ってたけど・・・!?となって目が覚めたので非常によく覚えていて、連絡をもらったとき現実になるとは思いもしませんでした。
こんな世の中だったので病院は面会できず看取りが叶わずに葬儀になりました。
祖母はもともと九州のお嬢様育ちだったらしいのですが、祖父と駆け落ちで結婚。
しかしながら私の母が小学生の頃に祖父が亡くなり、小さな居酒屋を開いて女手一つできょうだいを育ててきたそうです。(私が高校生頃までお店は続いていました)
そんなこともあってか私の母の姉(長姉の叔母)は自宅介護が可能なぎりぎりまでずっと家で祖母に寄り添い面倒を見ていました。入院してからも必ず毎日2回はきょうだいかわるがわる顔を出して、私も実家に帰る度に病院へ連れて行かれて。横たわっている祖母にもっと声を掛けられれば良かったのですが、変な性分なのでこういう場面になると思考が止まって何も喋れなくなってしまう。おばかですな。
長姉の叔母は結婚しなかったぶん姪である私を小さい頃から可愛がってくれたりもしましたが、祖母のかわりに家長であるという意識もあり強くてこわいところもありました。家出たらいいじゃん、と背中を押してくれたのも彼女です。(今でも母より感謝するところは多いので尊敬しています)
そんな物心ついた頃からずっとつよいと思っていた長姉の叔母が、最期に祖母の柩に花を入れる際声を上げて泣き始めたのを目の当たりにしたとき、強い衝撃と悲しみを受けました。同時にこんなのってありなのかよ、と。
父親を早くに亡くして自分たちを苦労して育ててくれた母親の死に立ち会えなかったのは、すべていま蔓延っている感染のせいです。
それまではふんわりと他人事だと思っていた感染が急に身近になった瞬間でした。憎いです。
はやく平穏が訪れますように。
遠出可能になったら形見分けで貰った祖母の指輪とたくさん出かけたいです。
生前一緒にどこかへ遊びに行くこともほとんどなかったので・・・
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